さて、今回のメールレターでは、
「自分の中に棲みついた親」との関係を
清算するにはどうすればいいのか?
具体的な事例なども含めて
お話ししていきます。
「ACで生きづらい」という方には、
お役に立てる内容だと思います。
<目次>
●「自分の中に棲みついた親」との関係を清算する
●中年男性のアダルト・チルドレン
●自覚することで世代連鎖を断つ
●母の体に触れられない一人娘
——————-
●「自分の中に棲みついた親」との関係を清算する
アダルト・チルドレン(AC)は
病名や診断名ではなく、自己認知するものです。
それでは病気ではないのに、
どうして「回復」という言葉を用いるのでしょうか?
回復という言葉はもともと、
アルコール依存症の人たちが断酒して、
酒のない人生を生きることに対して使われていました。
節度を持って飲めるようになるのなら、
「治る」「治癒する」
という言葉を用いるのでしょうが、
彼らにとっては「断酒」するしか方法がないのです。
ここから「治癒」ではなく
回復という言葉が用いられるようになりました。
「回復」は、
その他の依存症、嗜癖全般に用いられる言葉です。
ACは、
アルコール依存症の治療現場から
生まれた言葉ですから、
回復という言葉を使っているのです。
回復で最も大切なことは、
自分の中にいる「親との関係」を
どう変えるかということです。
ACの人は、
「私にとっての親は時に強大で、
自分にのしかかってくるかと思うと、
『あなたがいないと私は生きていけない』
などと言い、
ひ弱な人であったりするのです」
と語ります。
このように、現実の親ではなく、
自分の中に棲みついた親のことを
「インナーペアレント」と呼んでいます。
そのインナーペアレントの関係を
どうやって変えるかが問題なのです。
親からの自分への愛情と思っていたものを
「支配」と読み替えることで、
自分がなぜあの親の愛情を
苦しいと思っていたのかが分かるのです。
それは親とのエピソードを語ることで
次第に変わってくるのです。
エピソードは親への怒りや、
罵倒に満ちているかもしれません。
しかしそれを語り、
誰かに認めてもらうことで、
少しずつ親との距離もでてきます。
こうして語ることで、
1人でかかえ込んでいたものが外に吐き出されて、
次第に軽くなっていきます。
今まで怪物のように
強大な存在であった親がだんだん
小さくなっていきます。
これは自分の中に棲む親と
決別することなのです。
語ることで整理し距離がとれ、
訣別していくのです。
自分の人生のつもりだったのに、
実はその人生のドラマの筋書きは
親が書いていたのです。
だから、
そのドラマの本当の主役は親でした。
自分は脇役にしか過ぎなかったのです。
もう一度自分を主役に、
自分のドラマとして成育歴を語り、
つくり直していくことで、
自分の人生を取り戻すことができ、
「親との人生」と「自分の人生」の間に
線を引くことができるでしょう。
このようにして、
インナーペアレントは整理され、清算されるのです。
ACの回復は、
親との関係が整理されることで
7割達成されるでしょう。
残り3割は、
自分が育つうちに身につけた
対人関係のつくり方や感じ方を、
自分が楽になるように、
どう変えていくかということでしょう。
しかし、
これらは自分たちの一部のようになって
いるのですから、
変えていくには時間がかかります。
中でも、
対人関係が変われば
自分の感じ方も変わっていきます。
こうしてACと自覚することを出発点として、
回復すると
どんどん楽になっていくのです。
親からの距離がとれ、
親は少しずつ自分にとって
小さな存在となり、
1人の老人に過ぎなくなっていきます。
やがては、
ACという言葉も忘れてしまう。
そうなることが一番幸せではないでしょうか。
●中年男性のアダルト・チルドレン
僕はアダルト・チルドレン(AC)とは
中年世代の言葉だと考えています。
それは平均寿命が延び、
人生が長くなったことと関係があります。
この長寿国家をつくりあげたのは、
現在の中年世代のそのまた親たちで、
この親たちは戦中戦後の社会を
かくしゃくと生き抜いてきました。
このパワフルな親と思春期の子に
挟まれた中年世代こそが、
一番親子関係を真剣に考えざるを得ないと
思うからです。
年老いた親の介護の問題が
目前に迫っている一方で、
思春期の子どもの問題が起きています。
親と子にはさまれた、
まるでサンドイッチのような世代が中年期なのです。
それは、苦しいことでもありますが、
同時に親とのパズルが解けると、
自分と子どものパズルも解けるという、
一挙両得のような楽しみもあるのです。
女性ばかりでなく男性、
それも中年男性にもACと自覚して
カウンセリングに来る人が増えています。
カウンセリングに訪れるのは
女性の方が多いのですが、
仕事を持ち、
家庭を持っている男性が、
自分はACであると自覚することは
素晴らしいことだと思います。
親との関係が苦しいのは、
男も女も関係ありません。
むしろ息子である苦しみの方が
強いこともあるでしょう。
若い世代のACにとっては、親が健在で、
現実の支配がまだ継続中の中で起きる問題が中心です。
学生であったり、
就職や結婚にふみ切る前で、
まだ自分の家族を形成していません。
ところが中年世代のACは、
結婚し、自分の仕事もあり、
自分の家族を形成しているのです。
この人たちはどのようにして
自分がACであると自覚したのでしょうか?
それを3つのタイプに分けてみます。
(1)子どもに何か問題
(例えば、不登校、摂食障害など)が
起きたことでカウンセリングを受けるうちに、
自分と子どもの関係は、
自分と母の関係にそっくりだと気づき、
ACと自覚する人。
(2)年老いた親の介護をするようになって、
初めて怒りや嫌悪感に気づき、
ACと自覚した人。
(3)これまで夢中で子育てをしてきて、
子どもも自立し、
夫も仕事が一段落した時、
これまでずっと棚上げしてきた
親との関係を見つめようとして、ACと自覚した人。
●自覚することで世代連鎖を断つ
「世代連鎖」という言葉があります。
自分が親からされてたように、
子どもにもしてしまうということを表しています。
実は、このことが
中年世代のACの最大の問題かもしれません。
親から一度も愛されたという記憶がなく、
厳しいせっかん、体罰を受けて
育った女性がいます。
幼い彼女はそれでも母親を求め、
「私が悪い子だから、
お母さんはたたくのだわ」
と思い、母親にいつも謝っていました。
別の30歳の女性は
暴力をふるわれていたわけではありませんが、
母親から次のようなことを言われて育ちました。
母親の彼女を責める言葉は、
「なぜ親の言うことがきけない!」
から始まり、
「なぜ返事をしない!」
「なぜ泣く!」・・・
とおよそ答えられない叱責ばかりです。
そして、
それはどんどんエスカレートして、
「どうして生まれた!」
「どうしてそこに座っている!」
「どうしてお前はここで生きているの!」
という地点にまで追い詰められていくのでした。
泣いてもだめ、謝ってもだめ、
最後はへとへとになり、
石のように凍りついて意識がもうろうとします。
「私は生きていてはいけないのではないか」
という感覚が、
もう5~6歳の頃から心の奥底に
横たわるようになったのです。
そんな彼女にとって、
それでも母親はたった一人の親です。
その母親と同居してくれることだけを条件に、
現夫と結婚し娘をもうけます。
子どもには、
私のような人生は送らせたくないと、
彼女は妊娠中から育児書を読みふけりました。
心の中で、
幸せそうな子どもと自分が
一緒にブランコに乗って笑っている光景を
思い浮かべながら出産したのでした。
ところが娘が3歳になった時、
口ごたえをする娘の言葉を聞いた途端、
思わず娘をたたいてしまいました。
そんな自分に
ショックを感じた途端に
たたくことが止まらなくなってしまったのです。
恐怖でひきつった娘の眼を見た時、
彼女がその中に見たのは、
遠い昔の自分の眼でした。
それからしばしば
娘をたたくようになった彼女は、
そのつど自分を責めるのでした。
責めれば責めるほど、
たたいたり暴言を吐く回数は増えていきました。
そしてついに
「なぜ生まれた!」と
叫んでしまった自分に気づいた時、
絶望してしまったのです。
そんな藁にもつかむ思いで書店を訪れ、
何気なく手にとった
アダルト・チルドレンの本を読みました。
読み進むうちに、
わけもなく涙があふれて止まりませんでした。
「そうか、私はあの母親からされたことを
娘に繰り返していたのか・・・。
それなら、ひょっとして、
止められるかもしれない!」
そう感じた彼女は
カウンセリングにやってきました。
このように、
サンドイッチ世代の人たちが変わることで、
世代連鎖は断つことができるでしょう。
それを運命や遺伝といった言葉で
考えてはいけません。
親との関係で身についたものであれば、
それは変えることができるのです。
ACの自覚は、このように、
次の世代に苦しみを伝えない覚悟につながり、
子どもたちの幸せな未来にも
つながることなのです。
●母の体に触れられない一人娘
元気で一人暮らしをしていた
85歳の母親が突然脳内出血で倒れ、
入院しました。
55歳のA子さんは一人娘なので、
母を自分の住まいの近くの病院に転院させ、
面倒をみる決意をしました。
公務員のA子さんは、
アルコール依存症の夫と別れ、
マンションで一人暮らしです。
二人の子どもは自立し
元気に暮らしています。
ある日、
仕事が終わってから面会に行き、
母の体を拭いてやろうと思って
寝巻を脱がせた途端、
どうしても手が震えて、
母の体に触れられないのです。
あまりのことに自分で驚いてしまった
A子さんは、
呼吸を整えてもう一度触ろうとしたのですが、
やはりできません。
看護師さんが来たので
なんとかその場をとりつくろっては
みたのですが、
帰り道、
「なんという娘だろう、私は」
「なんてひどい人間なんだろう」
と、自分でも自分が信じられず、
自分を責めるばかりでした。
A子さんの父は
アルコール依存症で早くに死亡し、
母が女手一つで彼女を育ててくれたのです。
そんな苦労をかけた母に触れられないなんて・・・
と、帰宅しても眠れない一夜を過ごしました。
そのことを翌日
親しい友人に相談したところ、
友人は
「あなたはACじゃないかしら」
と言うのです。
初めて聞く言葉でしたが、
何となく自分自身を解くカギに
なるのではないかと直感を持ち、
本を買ってみました。
そこには彼女の母に対する感情、
これまで抑えてきた怒り、
見るまいとしてきた母からの支配・・・
などが、
まるで自分のことのように書いてあったのです。
そしてA子さんさんは
自分と母親の関係を、
今一度ACという言葉で整理すれば、
なんとか母を介護できるまでに、
また、
母の体に触れられるまでに
なれるかもしれないと、
カウンセリングにやってきました。
このように、
親が一人で生活できなくなり、
介護の責任を自分が背負わざるを
得なくなった時などに、
これまで抑えていた親への感情が
思いもかけない形で出てくることは
よくあることです。
それを否定したり責めたりしないで、
カウンセリングを通し、
「私はACだ」という視点で
見つめていくことで、
自分への親への感情が整理されます。
決して親を許せないにしても、
それなりに平穏な親との別れが
できるようになるでしょう。
ACという言葉は、
老人介護という親の人生の終幕に
どう付き合うかという
問題解決のキーワードにもなるでしょう。
「愛し合って、許し合って」
などというきれいごとではなく、
動揺せず、
穏やかに親との「本当の訣別」ができれば、
それに越したことはないのです。
★AC(アダルトチルドレン)からの回復
https://online-course.jp/course/maeda-course
*今だけ特別料金で受講いただけます!
———
今回の内容は、
以下の書籍を参考にさせて頂きました。
ありがとうございます。
「夫婦の関係を見て子は育つ」著:信田さよ子(梧桐書院)
———